HiKaRu

第16号(File #16:2000.03.01発行)

◆ 〜なおこさん〜 Vol.3◆

まさに涙が枯れるまでという表現がぴったりとあてはまるようにHIKARUは延々と泣き続け、そしていつの間にか泣き止んでいた。 人はこんなに泣けるものなのだと他人事のように感心し、そして昨夕から頭の中を渦巻いていた嫉妬や怒りといった様々な感情が、すでに自分の中から跡形もなく消え去ってしまっていることに気付いた。

「さてと・・・」 明け方の冷えきった部屋の中央で、両手で両膝を叩き深いため息のような掛け声とともに立ち上がると、HIKARUはおもむろに荷造りを始め、それから黙々とその作業に没頭した。

 

風太郎は二回生になった頃以降はもうほとんど大学にいかなかったし、アパートにも時々しか戻らなくなったから、必然的にHIKARUもなかなか彼に会えなくなった。それでもHIKARUは彼のアパートでの一人の生活を続けていた。風太郎の帰りを待ってというわけでもなく、もう既にそこが最も居心地のいいHIKARUの居場所になっていたからだ。

一回生の冬のグループ展以来風太郎はあまり大学にいかなくなり、二回生の頃は近くのコンビニの深夜アルバイトの仲間達とのバンド活動や、彼等がもともとアングラ劇団員だったことから彼等の舞台公演の裏方の手伝いなどに明け暮れていた。そのうちに時々練習をしていた貸しスタジオで録音をして各方面にばらまいていたデモテープを聞いたある著名ミュージシャンからプロデュースの申し入れがあって、風太郎達のバンドは急遽レコードデヴューのための大阪でのレコーディングの日程が決まり、並行して各所でのライブ活動と、とんとんとデヴューに向けての多忙な毎日が続いた。ところが大阪でのレコーディングの当日、プロデューサーと選曲や曲のアレンジについて真っ向から意見衝突し、プロデューサーの意向に従うという他のメンバーとも方針決裂し、一人で東京に帰ってきてしまった。風太郎を除く他のメンバーはそのままデヴューをして、その後メンバーの入れ替えはしながらも、彼等は現在もミュージシャンとしての活動を続けている。

風太郎はデヴューする際にコンビニのバイトを辞めてしまっていたので、バンド仲間との関係を断ち切り帰京した後、外国大手通信社日本支局で、アメリカ本局からの電送写真をプリントし別途テレックスで送られてくるキャプションを翻訳添付して各新聞社や雑誌社にバイク便で配信するという夜勤のアルバイトを始めた。三回生になる頃からは嘱託社員としてその通信社で夜間働き、昼間もフリーランスとして様々な取材をしては雑誌などに売り込みをしながらフォトジャーナリストを目指していた。 そんな風太郎が時々ふらりと戻れば、いつも一緒にいたかのように自然に時間を過ごし、また風太郎はどこかに出かけていく、そんな時期が一年近くも続いた。 もともと志していた広告写真の世界から報道写真の世界へ方向転換をはかろうとしていたようだったが、その後風太郎は卒業も間近の四回生の冬に大学を去ると同時に、すっぱりとそれにも見切りをつけてしまった。それから郷里に戻って地元の広告制作会社の期間契約フォトグラファーとして数カ月間ほとんど無休で働いて資金をためてそのまま渡米してしまい、約一年をニューヨークを中心にアメリカ各地で過ごすことになる。

風太郎と交流のあった仲間達は、全員大学を卒業したが、 卒業式の日に渡米する途中の風太郎が仲間達の祝福に大学に姿を見せた。仲間達も、それぞれ広告代理店や雑誌社、フォトスタジオといった先に就職が内定していたし、カリンはそのころには既にフリーランスフォトグラファーとしての活動を開始していたが、HIKARUは結局写真の業界には興味が持てずに、ランジェリーやインナーウェアーを中心に扱うアパレルメーカーのプレスルームへの就職を決めていた。風太郎は、もうこの頃にはそれまでのすべての試行錯誤の経緯をふっきってまた一から自らの将来を模索しており、渡米も十代の半ば頃からの念願だったこともあって、卒業式の日に久しぶりに会った風太郎は生気に満ちて眩しく見えた。

そして約十ヶ月の日々が過ぎ、HIKARUも渡米をすることになる。就職をしたアパレルメーカーの仕事は退屈で何らの執着も感じていなかったから、後先あれこれ考えることもせずに、すっぱりと辞めてしまった。ともかく風太郎に会いたかったし、それまでの仕事で知り合ったニューヨーク在住の雑誌カメラマンがアパートメントをサブレット(部屋の又貸し)してくれることになったので、風太郎を驚かそうと彼には黙ってニューヨークに渡った。

期間的には約三ヶ月ほど風太郎と滞在が重なったが、風太郎は行きつけのシングルスバーで知り合ったゲイのチーフエディトリアルのコネをきっかけにてメジャーファッション雑誌の仕事であちらこちらを飛び回っていたし、結局なかなか一緒に過ごせる時間は持てなかった。あっという間に時は過ぎ、そんな仕事にも未練を感じなかった風太郎が先に一人で帰国した後も、HIKARUは滞在資金がつきるまでさらに約三ヶ月ほどニューヨークに滞在をした。

帰国後の風太郎は、フリーランスの雑誌のライターやフォトグラファーとして、他人が嫌うような仕事もまったく選ぶことをしないで依頼のあるほとんどすべての仕事を引き受けていた。一本あたりの単価は低くとも、そんな風太郎の存在は編集者やデザイナーの間で口コミで拡がっていき、引き受け手のいない誰でもできてあまりお金にならない仕事や他所に依頼をしていて穴が空いてしまったような仕事を確実かつ迅速にそして廉価にこなしてくれる彼の存在は、各方面で重宝がられてトータルすれば相当な金額の収入につながっていた。

HIKARUが帰国した頃には、近所の行きつけの寿司屋が新たに焼肉屋を並行して始めるにあたって、風太郎はその店をプロデュースする仕事を最優先しながら、空いた時間はあるモデルエージェンシーに詰めて新規登録モデル達の宣伝材料用の撮影を請け負っていた。

後になってHIKARUはこのことを知ることになるのだが、ある日モデルエージェンシーに向かう途中に街で偶然に見かけた女性に強いインスピレーションを覚えた風太郎は、その女性をスカウトして強引に事務所に連れていった。デイレクターやマネージャーともども彼女を長時間説得するも、結局彼女はどうしても興味が持てないとのことで丁重にプロダクションの申し入れを断って帰っていったという出来事があってしばらくしてから、また風太郎はこの彼女に偶然に街で出会うことになる。それをきっかけにして風太郎はこの女性と交際をするようになるが、この女性には既に交際をしていた相手がいたので、風太郎はずっと友人としての立場でこの女性を見守っていたのだが、彼の強い気持ちがやがてその女性の気持ちを突き動かし次第に風太郎に傾けさせていくことになる。

風太郎がこの女性と深く交際するようになってから徐々に明らかになってくるのだが、誰にでも好意を持たれ才色兼備なこの女性の隙のない外見の奥深くに潜んでいたのは屈折し交錯し冷徹な人格の本質だったが、それでも風太郎のこの女性に対する愛情は深まれども離れていくことはなかった。そんな風太郎にこの女性は、自分の親友にあたる女性をあてがったのだった。そんなこの女性の意識の片鱗も感じることなく風太郎に紹介された女性、それがなおこさんだった。

 

HIKARUが荷造りを終えた時には、もう夜が空けて街が通勤の人々や車で喧噪に包まれる頃だった。HIKARUはまとめた荷物を玄関に出し、行くあてもないまま外に出た。朝の日射しが眩しくしっかり目を開いていられないまま、駅に続く人込みの中を漂うようにぼんやりと歩いていった。

なおこさん/Vol.4に続く


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