HiKaRu

第19号(File #19:2000.06.12発行)

◆ 〜潤くん〜 Vol.3◆

昨夜届いた潤くんからのメール

親愛なるHIKARUさま

拝啓 この数日めっきり暑くなりました。いかがお過ごしでしょうか。

あの2ヶ月間はたいへんお世話になりました。あれほどお世話になったにもかかわらず、その後またすっかりとご無沙汰してしまい申し訳ありません。ご家族の方々にご挨拶すらもしないまま失礼してしまいましたが、またいずれ改めてお礼に伺いたいと思いますので、くれぐれもよろしくお伝えください。

僕にとってお宅に居候をさせていただいていた日々は、本当に強い刺激の連続でした。先人達の様々な努力や試行錯誤、苦悩や闘争などの膨大な記録が、まるで乾ききった砂浜のような僕の心を満ちてくる波がおおらかに潤してくれるかのように、様々な未知の視点や知識を与えてくれました。本も選ぶことはしないで、手を伸ばしたそこにあったものを片っ端から読み漁る日々で、まさに一生分の本を読んだ気がしました。

HIKARUちゃんの部屋のあの膨大な書物のうちで僕が読んだものはほんの一部でしかないのだから、僕の何百倍か何千倍かの知識がHIKARUちゃんの内なる世界には存在しているのかと思うと、何だか気が遠くなってしまいそうな気がします。そんなHIKARUちゃんにこれまで僕は偉そうに相談相手になったりしてきたのかと思うと、とても恥ずかしくなります。

本当に僕はこれまで一体何をしてきたのだろうかと、僕自身の存在に虚無を感じてそのまま死んでしまいたくなるような日もあれば、宇宙と一体化するかのような無限の可能性に満ちた僕自身に浸ったりするような日もあったりと、まさに僕はHIKARUちゃんの部屋から、過去から未来へ僕の内なる世界から広大な宇宙の果てまでとたくさんの旅を経験することができました。

あの日、突然押し寄せる大波にのみ込まれてしまうかのように、書物の中の圧倒的な力に押しつぶされてしまいそうになった僕は、それまでにまったく経験をしたことのない、呼吸することすらもままならずに窒息死してしまいそうな、あるいはそのまま気が違ってしまうのではないかと思えるような衝動的な強い恐怖心にとらわれてしまい、いてもたってもいられずにHIKARUちゃんの部屋から逃げ出してきてしまったのです。近くの公園のベンチに座っていたら、やがて落ち着きを取り戻しはしたのですが、こんな僕自身の脆弱な本質を思い知らされたような気がして、それからしばらくはまた深く落ち込んでしまいました。それだけはとあの日のメールを書くのがやっとのことで、HIKARUちゃんにはお見通しのこととは思いますが、あの時の落ち込んだ僕を隠そうとしたずいぶん無理をした内容だったと思います。

あれからしばらくの間は、あちらこちらを転々としていましたが、僕自身は僕の中にあるのであってどこかの旅先にあるわけではないという自覚はお宅から逃げ出した時点ですでにありましたし、それから何度も家に戻ろうかとも考えましたが、何らの収穫も成長もないままおめおめと戻れるわけもなく、あてもなく家出をした少年のような気分で放浪を続けていました。

早いもので、あれからあっという間に半年もの月日が過ぎましたが、僕は未だに僕自身を見つけられないでいます。

自分でも不思議に思えるのですが、今はもうあの日々に蓄積したはずの知識の何らの片鱗も僕自身の中に残っていないのです。食べたものが消化されて排泄されてしまったかのように、本当にあの日々のすべてが僕の中からもうどこかに消えてなくなってしまったのです。

HIKARUちゃんの頭の中はどんなふうになっているのでしょうか。今度会える時に教えてください。

 

ここしばらく僕は、ある島の夫婦二人の民宿の手伝いをしながら暮らしています。初め何日か客として滞在するうちに親密になり、何も詮索をしようとしないご夫婦との関係がとても有り難く、今は早朝はご主人の漁を、昼間は宿の掃除や畑仕事などを手伝い、あっと言う間に日が暮れてしまいます。 塩や味噌から納豆や豆腐などに至るまですべてが自給自足、牛肉はめったに食べられないことを除けば必要なものはすべて揃っていますが、そのぶん実に細々とたくさんの仕事があって、昼間はほとんど煙草を喫う暇すらもないほどの忙しさです。 お客に早い夕食を出して、布団を敷いてしまえばその日の仕事も終わり、後は何もない長い夜です。大抵はご主人とただ酒を飲んで過ごしています。無給だけど、僕の部屋と食事は保証されていて、お金を使うこともありませんし、何の不自由もありません。 日々の暮らしだけで、ただ毎日が過ぎていきます。

僕はもうこの半年ほとんど活字に触れておらず、一日遅れで届く新聞すらも読んでいませんし、テレビもまったく見ませんから、もうすっかり浦島太郎状態です。このところ世の中で何が起こっているのかもわからず、このメールを書くために久しぶりにノートPCを立ち上げましたが、まるで他人のパソコンに触るような気がしています。よくもこんな難しそうなことを毎日やっていたものだと、以前のファイルを目にしてつくづく思います。

こういう生活をしていると、これまでの僕の人生がいかに無駄に満ちたものであったのかがとてもよく解ります。あれこれいろいろと考えたりもするのですが、昼間の忙しい生活にかまけてしまうこともあって、ほとんど思考がまとまりません。言うなれば、これまでの無駄ばかりの僕の生活からどれだけのものを削ぎ落とせるかということに終始していて、僕が僕自身を見つけられるまでにはまだ相当な時間が必要だということは確かなことで、率直に言って僕に僕自身を見つけることができるのかどうかにすらもまったく自信が持てないのです。

どうしても家族や仕事から逃避してこんな状況にいる僕を許容できないネガティブな僕自身にとらわれがちで、まずこれを一旦削ぎ落とせない限りはこの旅の意味もないものと僕自身に言い聞かせながら、気持ちのうえでは八方塞がりの状況からまったく脱却できていません。でももう僕はこの旅を始めてしまったのですから、僕自身を見つけられるその日まで今度こそはあきらめない覚悟を決める意味でHIKARUちゃんへのこんなメールを書いています。こんな状態でこんなメールをHIKARUちゃんに送れてしまう僕も、これまでの僕なら決して許容できなかったと思いますが、これも僕が再生するための過程の一つと理解していただければ嬉しく思います。

いつの日になるか判りませんが、きっといつか僕は必ず旅から戻ります。まず最初に僕の旅の始まりとなったHIKARUちゃんのもとに。

敬具

HIKARU自身/Vol.1に続く


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