HiKaRu

第25号(File #25:2002.12.31発行)

◆ 〜HIKARU自身〜 Vol.6◆

HIKARUは、これまで四度にわたって風太郎の元から離れたり戻ったりを繰り返してきたが、三度目で男と女の関係は以降なくなり、最後の四度目は仕事上での裏切りだった。

二十歳代の終わりの頃に、風太郎は欧州にアパレル関連専門商社現地法人を立ち上げようとしていた。国内各アパレルメーカーの下請けとして、欧州各国から良質なレザー原皮を調達し、レイバーの安価な東欧やアジアの第三国において個々のメーカーのデザインに基づいて縫製させた製品を日本に輸出しようという計画の下、日本国内の駐在員事務所を任せる人材として、当時HIKARUが勤めていた会社のマーチャンダイザーをしていた共通の友人を引き抜こうとしたのだった。

ところが一度は風太郎の新会社への移籍を快諾していた共通の友人の女性は、それまで自らへの評価の低さに不満を抱いていた会社からの彼女の辞職に慌てての役職の二段階引き上げと待遇面でもほぼ倍額の条件提示を受け入れて、辞職をあっさりと撤回してしまったのだった。そんないきさつもあって、宙に浮いてしまいそうになった事業計画を破綻させないようにと、またもともとの紹介者としての責任意識も手伝って、HIKARUが新会社立ち上げに急遽参画することとなった。

とは言えども、もともと参画を前提としていたマーチャンダイザーの友人とは、明らかに業界における営業的人脈や縫製工程管理上の絶対的な知識といったテクニカルな面での力量に大きな隔たりがあり、それまで広報にしか携わってこなかったHIKARUにとっては、あまりにも荷が重すぎたのだった。

それでもその事実を認めたくないHIKARUは、何とか求められる役割を果たすべく虚勢を張りつつも、刻々と進展する事業と相応する学習とのいたちごっこを続けたが、やはりその友人の存在を前提とした高い水準の事業予算計画をまっとうするまでには至らなかった。

計画を変更して国内に新会社を設立後一ヶ月でそうした状況を見極めた風太郎は、大幅に事業予算計画を変更し、アパレル関連からインテリア関連に主軸を徐々に移管していくことで、新会社の破綻を回避すると同時に、HIKARUの精神的実質的負担の軽減をはかってくれたのだったが、そのことが当時のHIKARUにとっては自尊心を踏みにじられた屈辱感として心の奥深くに刻み込まれてしまったかのように、そして以来HIKARUはその事業に対しての情熱を日々消失させていったのだった。

自らも気付かぬうちに張り詰めていた細い糸がぷっつりと切れてしまった後は、もうどうしても以前のような緊張感やバイタリティーを持続していくことができないで、精神的なストレスの蓄積からやがて体調を崩すような日々が続いたため、見かねた風太郎がルーティーンワークからHIKARUを開放して、マーケットリサーチ名目での長期海外出張に出してくれたのだった。

出発前に風太郎は、HIKARUが心から扱いたいと思える既存の商材もしくはイメージする新商材を具現化できるサプライヤーをリサーチするまでは帰国するなと一年オープンのワールドラウンドチケット、会社名義のアメックスとビザのクレジットカード、経費補填用としてのシティーバンクのキャッシュカード、そして当座の資金としての1万USドルのキャッシュを手渡した。

特にどこへというあてもHIKARUにはなかったので、当時ちょうど新会社の監査役がニューヨークに短期滞在するという予定があったうえ、ニューヨークには大学卒業まもなくの頃に一年以上滞在した経験もあったことから、最初は一緒にニューヨークへ飛んだ。

それから欧州へと渡り、計十数カ国を回る約半年にわたる一人旅を続けるものの、HIKARUの心の深層を覆っていた霧が晴れるどころか、心細さやその旅で初めて感じたホームシックも重なって、自ら納得のいくような調査成果をあげることはまったくできず、それでも定期的な報告を義務付けられていたから、資料をクーリエで送る度に風太郎からは酷評され続けた。

自らの内なる興味や楽しみの対象としての商材の発掘あるいは開発・・・、それは当時のHIKARUにとっては最も困難な課題であることを、そしてそれまでのHIKARUの意識や実際のビジネスは、第三者により与えられた範囲をまったく脱却していなかったという事実に、まさにHIKARUは愕然としつつもはや満足に地に足もつかないような状況にまで追い込まれていった。

風太郎からの許可が下りて帰国したその後は、閑職に甘んじつつも再起を目指していたものの、結局HIKARUは新会社設立から一年足らずで責任放棄脱落してしまうことになった。

HIKARUは取締役でもあり、風太郎と対等な共同経営者という立場を自ら選択したにもかかわらず、実際には資本金の調達も風太郎をはじめ仲間に彼等からの個人借り入れとして依存してしまったうえに、実際にもスタッフメンタリティーから最後まで脱却できず、辞職当時には被害者意識のみに支配されるばかりで、新会社における一年間で新会社や共同経営者達、さらには取引先や投資家達への自らの責任や立場の在り様にはその後数年に渡ってもまったく気付くことすらもできなかった。

最低限としてもHIKARU自身が使った経費や会社に与えた損害に対しての弁済の必要性が、まったくHIKARUには認識できなかったうえに、そうした義務に気付いた後も現実に弁済を実行したわけでもなかったのだから、風太郎がHIKARUとのビジネスを拒絶するのも当然のことなのだ。

それでもHIKARUは、これが天職でありHIKARUの人生そのものとまでの確信があったから、今度こそそれまでのHIKARUの人生をすべて清算し、新たな自ら納得のいく人生を歩んでいくために、決して中途で放棄しない逃げ出さないという強い覚悟ができていたから、風太郎を呼び出したのだった。いや、少なくともその時にはそのつもりだったのだ。

 

HIKARU自身/Vol.7に続く


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